スピッツ「漣」の歌詞について

皆さま、こんにちは。
さざなみです。

スピッツが好きで、
YouTubeやブログを趣味でさせていただいているただの一般の者ですが、
この度は当ブログにお越しいただき、大変ありがとうございます。

さて、前回の記事にて、
あくまで変わり者の私の一個人の思いではありますが、
スピッツの1番好きな曲として、
「漣」
「猫ちぐら」
「紫の夜を越えて」

「恋のうた」
「夢追い虫」
「歌ウサギ」

そして、プラスαとして、
「運命の人」
「正夢」
「フェイクファー」

を選ばせていただきました。

それぞれの曲に私が何を感じてきたか、
私自身、その歌詞をどのように聴いてきたか、
について、読者の方にうまくお伝えできるか分からないのですが、
これから書かせていただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。

まず、前記事にて、
上記の曲の中で、さらにどれが自身の中で1番好きな曲かは、さすがに決めることができません、
と書かせていただきました。

そもそも、
「漣」「猫ちぐら」「紫の夜を越えて」の3曲と、
「恋のうた」「夢追い虫」「歌ウサギ」の3曲は、
あくまで私の中でですが、
部門(?)が全く異なります。

後者3曲は、
完全に自分自身の「恋愛体験」に寄り添ってくれた大切な曲。
前者3曲は、「恋愛以外の、仕事や人生のこと」において背中を押してくれた大切な曲。
※もちろん「漣」「猫ちぐら」「紫の夜を越えて」を、恋愛の曲として捉えていらっしゃる方もたくさんおられるでしょうし、むしろその方が多いと思います。
あくまで私の勝手な解釈です…。

という訳で、
「恋愛」「仕事」どちらのほうが人生において大切か、
ということは自分の中で答えは出せないと思っておりまして。
つきましては、上記の自分の中で部門の異なる曲同士の間では、
どちらの曲のほうが好き、ということは私は言えないのです。

…ただそれでも、
矛盾してしまうかもしれませんが…、
強いて言うならば(今後、誰に強いられることもないですが(笑))、
どうしても1曲選ばないといけないということになりましたら、
私は、1番好きな曲に「漣」を挙げると思います。

それくらい、「漣」は、
自身の中で大切な曲であり、
自身の「好み」や「この曲と自分とのエピソード」等と照らし合わせた上で、
非の打ち所のない、究極の1曲だと思っています。

あくまで個人的な、
つまらない話になってしまうかと思いますが、
もしお読みいただける方は、以下少々のお時間、お付き合いをお願いいたします。

【歌詞について】

ネット等で「漣」の歌詞について調べたりしたことがあります。
そうしましたところ、
この曲の歌詞は、入水自殺をされる方のことを書いた詞ではないか、
といった情報をいくつか見た記憶があります。

私も、おそらくそうだと思います。
それが、ある種「答え」なのだと思います。

ただし、私は、
スピッツの…特に後期の曲に関しては、
歌詞について、「自分ではない誰かの…小説のような、短編物語」
というだけの解釈では終わらせられなくなっています。

これは、またいつか別の記事で書かせていただきたいと思っているのですが…
特に、「ハヤブサ」「三日月ロック」の頃以降の歌詞は、
草野正宗さんが、特に私たち聴く人に対して、心を開いてくれているように、
あくまで勝手にですが、思えています。

それより前までは、
主に、本当に閉ざされた世界の中の、
自分とは別の世界の、「誰かの物語」として、そして多くは「恋愛の物語」として、
小説を読むような気持ちで聴くような曲が多かったと、
本当に何も分かっていないであろう一個人の勝手な解釈ですが、
そう思っています。

ただし、
「ハヤブサ」「三日月ロック」以降の曲の歌詞は、
自身により置き換えやすい、そして、恋愛だけに限らず、
仕事などの自分の人生においても当てはめられる、
そういったものが増えてきたと思っています。

話を「漣」の歌詞に戻させていただきます。

「漣」の歌詞は、
「入水自殺」のことを歌っている、
というのが、ある種「答え」なのかもしれないですが、
私は、
「一度死んで、新しい自分に生まれ変わる。
 今の、うまくいかない生き方をリセットして、
 もっと心から好きなことをやって生きていく自分になる。
 そんな…誰かじゃなく、”自分自身”の決意の夜の物語」
だと、勝手に解釈して…
勝手に涙が出て…、勝手に勇気が出て…。

「漣」は、自分にとってそんな曲です。

以下、「無理やりな解釈だな〜」と笑われてしまうかもしれません。

でも私自身、周りに笑われることには慣れていますし、
何事も、一生自分の心の中で勘違いして、
それで感動できるのであれば、そのままで死んでいきたい、という強い思いがあります。

それでは、歌詞につきまして…。


毎度くり返しては すぐ忘れて

私の1番の悩みは、仕事…
本当は、好きなことを好きなだけやって、
そのことだけに自分の持っている情熱すべてを注いで、
後悔なく死んでいきたい、
そういった思いをずっと持っている中で、
環境を変えよう…自分自身を変えよう…
と人生の中で何度決意してきたか…
それでも毎日、何となく流されて…
あの悩みも、あの決意も忘れて、また同じことで苦しむ…
そんなことを何回くり返してきたのか。
この1行の歌詞に、そんな自分を照らし合わせています…。


砂利蹴飛ばして走る 古いスニーカーで

この歌詞では、ただ1人の人間が古いスニーカーで海岸を走っている、
そんな絵をそのまま浮かべています。
もしくはこれは、上記の毎度くり返してすぐ忘れて、
毎日結局苦しんで仕事や人間関係に追われている自分の姿なのか…


なぜ鳥に生まれずに 俺はここにいる?

まさに、そのまま自分自身の思いです。
なぜ、自分は鳥のように自由に生きない…?
この安定しているけど、好きでもない仕事・好きでもない人間関係にしがみついて苦しんでいる…?


湿った南風が 語りはじめる

夜の海に、ただ1人、たたずんでいる自分の姿をイメージしています。
南風が、「なんで好きなことやって生きていかないの?」と、私に聞いてくる。


ミクロから夜空へ 心も開く

南風が言うように、改めて自分の心に素直になって考えてみる…
何度も何度も考えてきた、分かりきっている自分自身の中での答え…
こんなに狭い仕事・狭い人間関係の中でずっと苦しんできた…
自分のやりたいことをやって生きていく自信が結局なかった、
結局安定の仕事を選んだ…臆病で本気で自分の人生に立ち向かったことのない自分…
可能性は無限大…何だってやってみなきゃ、一歩踏み出してみなければ分からないのに…


ため息長く吐いて 答えはひとつ

もう何年も何十年も…何十回も何百回も同じことで悩んだ…
これからだって結局同じなんだろうから…
もう、答えはひとつ…


こぼれて落ちた 小さな命もう一度

…今までの自分の人生は終わりにしよう。生まれ変わってもう一度やり直そう。
所詮、この広い夜空からしたらちっぽけな1人の命、短い命。
やるなら好きなことをやって生きよう。
※この歌を聴いているときの私の好きなことは、
 スピッツの曲で自分のアイデアで、何か動画・音楽を作ってまずはYouTubeに投稿してみること。
 そして、このブログのようにスピッツのことを文章にしてみたりすること。
 その先に、スピッツ以外でも、自分だけのオリジナルの何かを「作る」こと。
 今はまだ無理でも、いつかはそんなことを仕事にしてみたい。
 まずは、その一歩を踏み出さなくては、夢はいつまで経っても叶わない…。


翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ

好きなこと…今やりたいと思っている、動画や音楽や文章やら…
そのスキルは何も無いけど…
頑張って、そんな壁も乗り越えて…
いつかは、こんなちっぽけな自分のやってみることだけど、
それを「おもろい」と言ってくれる人に、人たちに、出会いたい…。


ぬるい世界にあこがれ それに破れて

(今まで書いてきたことと同様ですが、)
安定した仕事に就いて、あとはここでそれなりに仕事を頑張って、
順調に出世して、不自由のない生活が待っているだろう。
そんな風に思っていたけど…、
いざ社会に出てみると、そんなに甘いことではなく…
苦しい毎日…好きなことをする時間もなく…


トガリきれないままに 鏡を避けて

かと言って、
「自分はこんな、ロボットのように、軍隊のように、
 自分自身の心を殺して、周りに合わせて、
 会社のために生きていく、
 そんな生き方はしたくないから、
 自分のスキルだけで生きていく、独立する。」
…なんてこともできず、
結局今の環境にしがみつき続けている…。
こんな、自身の信念を貫いていない生き方をしている自分…
嫌いだし、見たくもない。


街は今日も眩しいよ 月が霞むほど

(場面は戻って、また夜の海で1人…)
ここはただ…理屈はなく、
そういう1シーンの絵として、
この歌詞を聴いています。
全く説明はできないのですが…
私は、この「漣」という曲の歌詞の中で、
この1行が、1番好きです。


現は見つつ 夢から覚めずもう一度

(今まで書いてきたことと同様ですが、)
現実世界で、今の仕事を苦しいながらも何とかこなしてはいる…
好きなことだけして生きていくなんていう夢みたいなことばかり言っては生きていけないことは分かってる…
それでも…どうしても、この夢を叶えたい。
やはり、もう一度、自分のやりたい道へ進もう。
安定とかそんなもの全て捨てて、生まれ変わろう。


四の五の言わんでも 予想外のジャンプで君に会うのよ

でも…失敗したらどうしよう、結局路頭に迷ったらどうしよう…
なんて、そんな先のことばかり考えていたって、
結局今までの人生思い返してみれば、
想定していた生き方なんてできていなかった。
とにかく一歩さえ踏み出してみれば、
あとは予想外の出来事だらけだけど、
好きなことに情熱を持って頑張り続けていれば、
いつかは、こんなちっぽけな自分のやってみることだけど、
それを「おもろい」と言ってくれる人に、人たちに、きっと出会えるはず…。


キラめくさざ波 真下に感じてる
夜が明けるよ

これは…
高い崖かなにかから飛び降りるということで、
かなり真下のほうにさざ波を感じているのでしょうか…
それとも、静かにゆっくりと海に身を投げるという意味で、
今、足が波につかっているのでしょうか…

いずれにせよ、悩みに悩んで…
いつの間に、もう夜は明けようとしている…
もうこれ以上は考える必要はない…
やはり答えはひとつ…
昨日までの自分とは別れを告げて…
この決意を胸に…新しい自分の道へ。



長々と申し訳ございませんでした。

以上が、私にとって最も大切なスピッツの曲、
「漣」と私の、ある一夜でした。

※実際に私は浜辺にいたわけではなく…あくまで部屋の中で聴いていただけではありますが。

何度もしつこいようですが、
草野正宗さんが、この曲に込めている思いとは全く違うかとは思います…
あくまで、変わり者の私が、
勝手に自分の人生と照らし合わせて、解釈させていただいたものです。

この夜の決意を胸に、
私は、スピッツの曲を元に、動画の作成を始めました。

たかが、
スピッツの曲を使って音楽を作成して、
少しイラストを書いたりして、
動画を作成して、YouTubeに投稿するだけのこと…

他の方からすれば、あまりに取るに足らないことだとは思いますが、
私の中では、何より大切な一歩だったと思っています。

ただし、これだけの決意を「漣」という曲からもらっておきながら、
まだ、今の仕事を辞めた訳ではありません。

いつか自分の夢を形にできるまで、
まだ時間はかかりますが、
毎日一歩でもいいから、ユメで見たあの場所に立つ日まで、
少しずつ、あくまでも歩き続けようと思っている次第です。

こんな私の個人的な文章、
最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました。

上記のような思いをもとに、
「漣」を、”可愛い楽器でカバー”と題して、
動画を作成させていただきました。

もし宜しければ、
ご覧いただけますと幸いです。
(動画の10曲目(最後の曲)が「漣」となっております。)



記事を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

心よりお礼申し上げます。

2021年9月
さざなみ